| 船引町の 船ってどんな船? 想ってみませんか! 2008年 田村市船引町の方々の思いを聞き取ってみました home 12月11日 12月12日 12月13日 12月14日 12月15日 12月16日 12月17日 12月18日 12月19日 12月20日 大滝根川の 灯籠流しが 始まった頃 小泉辰代さん 室井照子さん 草野ユキ子さん 鈴木一枝さん のお話 佐藤:おはようございます。今日集まっていただいたみなさんに60年ほど前の思い出話から 灯籠流しなど色々 話していたたけますか。ああそうそう お話を聞く前にみやげを差し上げるのを忘れておりました 会場 あはははははは ![]() 鈴木一枝:(以下一枝)あら〜なんでしょう 佐藤:饅頭です。 古い同人誌ですかこれは 一枝: 館山 佐藤:手書きですね 同人誌ですね 一枝:そうですよ 佐藤:灯籠流しの話と 同人誌『館山』はどのような関係ですか 小泉辰代:(以下辰代)これは27年(1952年)の発行で (右写真 小泉辰代さん) 室井照子:(以下照子)船引町の新興を語るって座談会を開いたんですね 辰代:灯籠流しが3年目だと 照子:それを続けて いこうっていう館山の座談会を開いたの、(記録が) めっかったの。そんときの町長さんが 一枝ちゃんのおじいちゃんなの 鈴木広美さん。 佐藤:灯籠流しが始まった 3年後に座談会をしたという記録ですね、じゃ灯籠流しの思い出を皆さんにお聞きしますね 辰代:思い出としては、船引小学校に集めて受付をして、河原から流したですよ、そして玄葉さんの後ろで審査員が観て 佐藤:スータト時から 点数をつけた 会場:それは後だ 辰代:どこのかただか分からないけど 御詠歌をね唱って 一枝:河原でやったんじゃない。個人で昔の人達が。うちのお婆さんだとか新宅のおばさんとか、昔は何にも無いから。 照子:昔は御詠歌じゃなくって念仏講 一枝:念仏と御詠歌があって、わかれていたみたいなの。やっている人は同じなんだけども。うっすら聞いているんだけども。 辰代:私もすごいと思ったのは御詠歌の人達がね、小さな灯籠を そして戒名が書いてあっる灯籠を流したんですよ。うん。 佐藤:まとめたのは一枝さんたちのおばあちゃんが まとめたんじゃないかと。 一枝:昔は御寺さん中心じゃなくって、地域の人達が。 辰代:町なんかは薬師様で 薬師講があったのね。そこで念仏を大きい数珠を回して。でもねうちのおばあちゃんはそこには入ってない。具合が悪かったから。 一枝:お寺の まさちゃんの東光寺のお母さん、うちのおばあちゃん、館山のおばちゃん、新宅のおばさんだとか、そういう人達がやってたんだね 佐藤:始めた切っ掛けは なんだったんでしょうか? 一枝:昔の人の楽しみ 照子:あの〜戦没者を、慰霊するための最初の 計画は そのために始まったみたいですよ。これに書いてあるのは。念仏を唱えて流したんでしょ。、それが発端だよね 佐藤:戦争が終わって直ぐですか 照子:24年(1949年)の8月の20日 ここに書いてあります。玄葉さんが中心になって文化協会っていうのがあったの。私らは それで大人にしてもらったんだんね。文章 書いて『館山』に載っけてもらったりして 辰代:混乱期でしょう、今まで軍国主義 照子:今日 持参したのは 27年の館山、一番最初のは みっかんないんだ 佐藤:この本の年齢は、わたしとほぼ同じ年齢ですよ 紙あったんですか 照子:みんな趣味でね。発信というより自分の思い、そういうもので、8号で終わりかな。 佐藤:戦争が終わってすぐ始めた 照子:いやいや、1号はね昭和22年(1947) ユキ子:全部はないけど持ってくればよかったね〜 家の人がね〜日記 書いてたんですよね 佐藤:じゃー読んで紹介してください ユキ子:私老眼鏡持ってこなかったからな〜 佐藤:照子さんに読んでもらうとみんなに聞こえるでしょう そうしましょう 照子:昭和25年8月25日ね 久しく 不便を感じていた。大橋も今日から人のみ通れる様になった 予定より1ヶ月おくれる由。あの通りの商店の迷悪はおして知るべし。完全の開通は来月の9日になるそうだが、通れる様になりだいぶよいだろう 9月9日 大橋の 新(竣)工祝いにて朝より花火、特によるは綺 麗であった 踊りなどあり、その人 今までにない程であった9月10日 大橋の新(竣)工にて、とうろう流し花火などあるわけであったが、夕方より降りだし雷雨のため中止 (日記 草野武夫さん ユキ子さんの御主人) 佐藤:こういう日記 記録が残っているのはいいですね 照子:そうなんだそうなんだ 佐藤:だんなさん筆豆ですね 照子:昔はみんな書いてた、結婚を期に みんな燃やしちゃった 会場 はあっははははははは (写真 鈴木一枝さん) 佐藤:橋が通れないって書いてあるね ユキ子:橋はできたんだけども そのあと一ヶ月 かかって全部通れるようになったの 照子:橋の竣工と一緒だけども 灯籠流し 最初は24年にあったの。一番先の灯籠流しは24年の8月20日にあった。 佐藤:最初の思い出を語る会なので 話が行き来して まとまらなくってもいいですから、また次回に会を重ねてまとめていければ、嬉しいですからね 会場:うん うん 照子:うんそうだね 何回か集まなんないとね ワイワイガヤガヤ ユキ子:そこに昔の人達がやっていた念仏講の写真あんのね 照子:戦没者を鎮魂するために 念仏を唱えたんだから うん。本来の灯籠流しっつうのは昭和24年の8月20日に。戦没者を慰霊するために、やったことが最初なの。うちの方は20日盆っていうんですよ。終戦は8月15日だけども。20日盆というのがお盆の最後なんだね。 一枝:私の本当の記憶ですけど学校の先生に聞いた話で。一番最初 学校の先生から話盛り上がったそうなんです。学校の先生達がアイデア出したみたいなんですよ。この町の真ん中が川流れてるでしょ〜。この川をなんとか使って町で何か出来ればいいな〜って、そういうアイデアを出したのは学校の先生らしいって言うの 私子供心に小学校の。 あとどういうふうになったかは知らないけども。 照子:館山にも そんときの校長先生が語ったの。まざってんの。だからこれは確かです。 一枝:受持の先生に聞いたの私は ユキ子:アイデアっていうのを出さないと 一枝:大人になってから同級会とかあって、その時に そういうアイデアを出したんだって言う話は聞いたの。 私がやったのは小学校4年生の頃なんだ 多分ね。灯籠流し始まったのは。でも言われとか、流れとかは子供だったから知らなかったから、ただ1回だけ 東京の叔父さんが夏休みに来て灯籠作ってもらったんですよ。それを流したこどあるんだけど。河原から流したとたんに沈没しちゃって。 うん、そういう記憶は1回だけ参加したことはあるんですよ。 佐藤:文化協会の話をすこし 照子:昭和21年、終戦の次の年から文化協会つうのが始まったんですよ。 辰代:玄葉さんが 急に自由になったからさ〜 長男だけが全てをもらうっうのはおかしいんじゃないかな〜。自由な意見が出始めたね。そういう荒れに走ったんでは困る!みたいなね。感じで 若者たちを集めてそして同人誌の館山を出してたんですよ 佐藤:館山という同人誌を発行して 色んな考え方 出て混乱するからね。古い日本の考え方があまり壊れないようにってことでしたか 会場 そうね 今日は灯籠流しと同人誌館山の話がでましたね 照子:一緒なの 一緒なのここでは 辰代:ここではお盆のね16日には 送り盆っていって 朝。 かわかんじょうと御米と御塩とお茶と十万億土の旅路の食料ですってやって花を添えて流した。それは昔〜しからの風習で 照子:それは灯籠とは別にね 辰代:遅れると 先祖様が可哀相だからねって 佐藤:話がいろいろでましたが 一旦休憩します 会場:はははははあは 辰代:人が大勢集まったのね。私が娘時代に、十六年結婚だから、雷が鳴ってそしたらうちはその頃 呉服屋戸は開けてあったでしょう。いやいや店に一杯皆様が入り 佐藤:雨宿りになった 辰代:雨宿り でぎゅー詰めでね。押されてね、スゴイ土砂降りだった。あん時は結局 止めちゃったんだね。 佐藤:草野ユキ子さんの御主人が残された日記と合ってますね。昭和25年9月10日 辰代:そうだね 佐藤:9月10日 大橋の竣工にて とうろう流し花火などあるわけであったが 夕方より降り出し 雷雨のため中止 辰代:それは何年? ユキ子:それは25年 辰代:ああやっぱり うう ね〜 佐藤:辰代さんの記憶と ユキ子さんの旦那さんの武夫さんの日記の内容が合っている。 辰代:雨が降って中止になった。1回ぐらいじゃない中止 ユキ子:何年かずーっとやってんけんとも。こんなに大雨になったつうのはこれくらいでない。 ![]() 照子:あとはね〜灯籠流しダメだってのは聞かなかったもの 一枝:あるんだ、後になって当日中止になった事があるんですよ、全部は私分かんないけど。ありますそれは。何回か。大雨が降って中止になった事があるし。あと灯籠流しとは関係ないんですけど。 私ら駅で灯籠流しのイベントで何年かの記念だと思うんだけども。踊り踊ったことがあるんですよ。トロッコ列車が走ったでしょう。灯籠流しの日に。郡山〜小野町間をトロッコ列車で船引の駅で停車してね。私ら踊りやっているから、 ( 写真 室井照子さん) 照子:歓迎の 一枝:発車する時間に、踊り踊ったことあんです。頼まれて。何回か。そういうイベントも最近ではやってんだわね。最初じゃなくってもね。 辰代:友達に電話したら、24年にお嫁に行っちゃったから分かんないけれども。小学校ね、みんな昼間!灯籠が一杯並んでる風景は思い出すって言うのね。そしてあとは自分の子供たちが、無料のバスが出たんですって。灯籠流しに行くための。で子供たちは喜んで乗って行ったと。うん、それでまた帰りもそういうバスで来たけど、あとは灯籠流しの日に見に行ったと言うのはいっぺんぐらいかな〜って。嫁にいってね。 一枝:昔は賑やかだったんだよね。人が出るからっていうことで手伝い何年もしました。 夏はキャンデー作って手伝ったりとか、灯籠流し掛かると。灯籠流し関係ないけど消防の検閲、あそこで水はじく。 佐藤:昔は6万人ぐらい集まったという人もいました。路を人が歩けないほどの人人人 会場:うんうんうん 辰代:そして 土手んところに、も〜 すごい 一枝:そうだよね。(土手の)両側に人がびっちりでしたよ。 佐藤:土手に人が鈴なりになっていた。段々規制が厳しくなって出来なくなったのかもな〜 一枝:今年なんかあんまりでなかったね。私もしばらくは行かなかったんだけど、孫達が観に行くようになって、外に出てる孫も来るからここ何年かは、行っているんですけど 辰代:うん うんうん 佐藤:どうですか最近のを観た感想は 一枝:だから数は無いですよね。灯籠の数。 佐藤:昔はものすごい数をながしたんですか 一枝:私らは若い頃は色んな会社が出していたの。 佐藤:辰代さんの見せていただいた 少女の形の灯籠 流し 辰代:こっちに来てからなの、あれは分店なの。フランス人形 一枝:駅は汽車(型の灯籠)を作って。バス会社はバス(型の灯籠)を作ってねやってたのね。流してたんだ〜 佐藤:ははははあは 辰代:国鉄さんなんが煙を上げて、だからスゴイね〜 大きいね〜 佐藤:シュポシュポ 煙吐いた 灯籠が流れていくと 素晴らし!はははははは 照子:あったよね〜 一枝:それが段々無くなってきて 佐藤:なんで 皆さん出さなくなってしまったのかね〜 照子:やっぱり人が居ないしね〜 うん 辰代:後になったらね商工会がねお金を集めて、幾ら幾 らのものは、5000円ぐらいの灯籠、であれします〜って名前だけ。コマーシャルは入れないでください。入れても簡単なものって言う感じのユキ子:あの〜数は少ないけども豪華にはなっているよね 照子:今はね 一枝:今は子供のキャラクターほとんど 辰代:ああなるほどね〜、子供達には分かるけど 私らには分がんないキャラクターものが。今は団体でだす。後は宗教団体でちっちゃいの千個出しているけど。 ( 写真 草野ユキ子さん) 佐藤:千個はすごいかずだね、 一枝:それを秋元病院の前から流すだけなんだけどね。学校から流すと潰れちゃうから 真ん中から流すから、本当の大橋の当たりまで流れるだけね。あとは下に行ったらみんな倒れっちゃうから。それが流れるくらいで、数が少なくなったから。待ってる時間が長いし、流す時間も短いわね。 会場:うん うん うん 辰代:ひょっとすっと回収させるのまでやんのかな〜今は 一枝:全部 自分で回収 照子:昔も流した人が回収してたんだよ、今も同じだよ 佐藤:回収するのが面倒だから数少なくでかいのでって 一枝:そうじゃなくって、あんまり関心が無くなってって出す人がいなくなったから、観光協会の方で作りますから、これ5000円ですから5000円だけ出してくださいって。 会場:なるほどなるほど 辰代:私らみたいに人形 つくったつうのはなくなる 佐藤:自分たちで人形作った時代がさり、お金で済ませる時代になって、なにか寂しいね 一枝:ほんとうに灯籠だけですよ。何にもなくって。キャラクター作んのは、そういう会社で作っているようなもので。それを間 間にして チイチャイのが来るんですけど、昔みたいに何かイメージ的にはね。ただ子供たちは喜びますけど。 辰代:妹に電話したのよ、回転する灯籠を。それが 作ったのに流れる時にはそんなに回転しなかったって。それで引き揚げて。そんでも三等入って50円の賞金は頂いたって。 佐藤:賞が出たんですか 照子:でるよね 佐藤:50円というのは大金なんですか 照子:大きいよ〜 その当時の50円はね 辰代:そんとき米1升いくらだった?って聞いたら。そんなの分かんないよ〜って ユキ子:三等ぐらいまで くれたのかな 辰代:そうかも、あとは参加賞だった。そして引き上げるのに 男友達がごろんと川にはいっちゃって 照子:だれかが話せば次から次に思い出すんだよね 辰代:だから佐藤さん なんか抜きにして 会場爆笑 あははははは灯籠流しを語る会で 佐藤:こんかいの私の仕事は、そういうことです。佐藤なんか来なくっても 話そうよって町の方々で 思ってもらうために活動してるわけですから いいですね〜 かいじょう そうかそうか 辰代:むしろね、お嫁に行った人達がすごく知っているだ。古里とを懐かしむというか。うんだから私にしては 船引に住まってる人達。船引の者になるわけでしょう。だからなるべく船引に住まっている人に声を掛けたのよね。妹は小野町だけど声かけた「この忙しいのになによ〜」って はははははは 佐藤:年末の忙しい時期に集まって いただきありがとうございました。 |